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川崎堀之内 真珠夫人 長谷川まい

長谷川まい(37)
所属店:川崎堀之内 真珠夫人
T.155/B.86/W.58/H.83

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☆天下の分け目なり・Vol.2☆

2021.07.19 Mon21:55



前回の『ケチ武将』続編です。

こちらも長いので、
関心のある方のみで、よろしう。

■前田利家(1539-99)
 利家が佐々成政と戦った際、
妻の「まつ」は備蓄していた
金・銀を軍費に充てるよう、
利家に進言したという
エピソードが残っている。
これはいったい
どういうことなのだろうか。

 利家は、ドケチで有名であった。
利家は軍費を惜しんだうえに、
人を召し抱えることを
控えるなどしていた。
「まつ」は利家が蓄財に励むのを
皮肉ったうえで、利家に金・銀を
使うよう助言したのである。
その甲斐あって、利家は
成政に勝利した。



☆長谷川「いい嫁を
もらいましたね。」


■黒田官兵衛(1546-1604)
 官兵衛は倹約家としても有名で、
無用な出費を極力避けた。たとえば、
木材の切れ端なども、捨てずに
必ず貯めることにしていた。
その切れ端は、風呂焚き用に
用いられていたのである。
また、庭には梅の木を植え、そこから
収穫される梅を梅干しとして食用とした。
かなりの徹底振りである。



 官兵衛は、倹約で貯め込んだお金を
貧しい人に施すなどしていた。そうした
際には惜しむことなく、大胆に
振る舞った。その振る舞いぶりは、
家臣が諌(いさ)めるほどであったという。
また、いざというときのための
戦費としても、蓄えは続けられた。
そのため家臣にも倹約を奨励し、
家臣もまたそれに従った。

「良いケチ」である。


☆長谷川「さすが栄姫
(官兵衛の娘。黒田長政の継室)
のお父上様ですな!」


■佐久間信盛(?-1582)
 天正8年(1580)、織田信長は
大坂本願寺攻めに失敗した信盛に
折檻状(せっかんじょう※解雇通知)を送り、
高野山(和歌山県高野町)へ追放するという
処分を科した。
その中で重要なのは、次の一節だ。

 以前から使える家臣に
知行(ちぎょう)を加増したり、
あるいは与力(よりき)を付けたり、
新しく家臣を召し抱えたりしていれば、
これほどの落ち度
(大坂本願寺攻めの失敗)をすることは
なかっただろう。
(信盛が)ケチくさく、
(お金を)溜め込むことばかり考えるから、
今回は天下の面目を失ってしまったのだ。



 家臣は主のために懸命に戦い(奉公)、
主は貢献した家臣のために
加増する(御恩)。「御恩と奉公」の
関係こそが、主従関係の基本である。
信盛は金を溜めることばかり考え、
おまけに大坂本願寺攻めに失敗したので、
信長は怒り狂ったのである。


☆長谷川「せめて信長公に
オシャレなパンツの1枚でも
献上しておけばよかったのに...」





以上、金銭感覚は
その人次第ですが、
お金は生きた使い方をすれば尚良し。
ということがうかがえますね!

それでは長々と
お股せいたしました。
そしてお付き合い下さって
ありがとうございます(^^)






完。

♯quotes n processing
♯引用 と 加工








 

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2021年07月19日 Mon21:55

2021年07月19日 Mon21:55

☆天下の分け目なり・Vol.1☆

2021.07.19 Mon21:08


はっきり言って長いです。
興味のある方だけどうぞ。

英単語を調べていた時に
見つけました。

何これー 笑!


☆戦国大名の性格はさまざまで、
ケチというのもその一つだろう。
むろん、ケチというのは
理由があって、
多くの場合はいざというときの
備えだった(戦争や災害への備え)。
ケチの逸話の多くが近世に
成立したのは、
江戸時代にたびたび発布された
倹約令の影響もあろう。
「倹約する戦国大名こそ
すばらしい!」
というのは江戸時代に作られた
理想像と考えられるが、
非常におもしろくもあるので、
私的に5人を選び出してみた。

♯Google引用


■豊臣秀吉(1537-98)
 秀吉は黄金の茶室を設けるなど、
ケチではないような印象を受けるが、
決してそうではなかった。
小瀬甫庵(おぜほあん)の
『太閤記』には、
次のとおり書かれている。

 秀吉は富める者を優先し、
貧しき者を削った。
どうして道(人の道)に
近いといえようか。
百性から税を搾り取って、
金銀の分銅にして我がものにし、
余った金銀は諸大名に配った。
下の者(庶民)に配ることは
なかった。

 
 その強欲ぶりは、フロイス
(明智光秀に数々の低評価を下したポルトガル出身、
キリスト教の布教を
行うために来日していた
宣教師・ルイス フロイス
※要するにキリスト教布教の
営業マン)
の『日本史』にも
書かれているほどだ。

 女性に対する執着心も
凄まじかったというから、
救いようがない。


☆長谷川『Ohhhh...気をつけて!
別にダメではないけど程々に
ね!!』



↑ルイス フロイス



↑明智光秀


■徳川家康(1543-1616)
 家康は幼い頃からの人質生活で、
すっかり倹約生活に慣れていた。
座敷で相撲しているとき、
畳が傷まないように裏返しに
させていたのは好例である
(『駿河土産』)。
厩(うまや)が壊れたときも、
そのほうが馬に頑強になるといって
修理をしなかった
(『明良洪範=めいりょう
こうはん』)。
とはいえ、家康は百性だけに
苦労させてはいけないと考え、
あえて白米ではなく麦飯を
食べていたという
(『武将感状記』)。

 
 家康は質素な生活に努めたが、
必要な際には必要な出費を
惜しまなかった。
大井川の舟橋に橋を架けたのも、
その一つである(『信長公記』)。
「良いケチ」である。


☆長谷川『ナイスぅ!
さすがですわ。やるじゃん。』



次回に続く。

 

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2021年07月19日 Mon21:08

2021年07月19日 Mon21:08

☆無理はせず。☆

2021.07.19 Mon01:16

☆無理はせず。☆

2021.07.19 Mon01:16






先日ブログにupした
京都スタート〜静岡終了の
強行スケジュールのくだりですが、
はじめに甲府へ行っていたら
長谷川は大事故に
巻き込まれていたかもしれません...

帰り際、中央道を走行中、
通行止めが2ヶ所があったのです(-_-;)

私のオツムの中では
まず先に京都!京都!と
思い込んでいたので、
京都では宣言通り5ヶ所巡ることが
できました!!

豊国神社では宝物館・書院で
実物を公開しており、
南蛮人(今のポルトガル)や
タケノコのコスプレを着た人などで
お祝いしていた金の屏風、
秀吉公の愛用していた刀や
本人の描いた掛け軸、
幻の名刀・骨まで斬れると言われた
骨喰(ほねばみ)藤四郎の刀を、

養源院では写真撮影が
NGだったので、
パンフから載せましたが
俵屋宗達の襖絵や鳥居元忠と
380人の兵士たちが
自害した時の床を祀った
血天井を見ました。

お次は高台寺。
秀吉公がねね とイチャついていた
場所で、後、ねねは出家し
高台院という名前に
なったそうです。

お後は建勲神社。明治天皇が
信長公をこよなく愛していたので、
信長公のために建てられた
神社に行きました。


そして最後。
なぜか商店街の一角にある本能寺。
大本山本能寺・
大寶殿(ここもやはり撮影がNG)
でしたが、
ヒゲのない信長公の珍しい
肖像画や霰釜、愛用の茶碗、
彼はとにかく斬りまくっていたので、
かなり研いであるエッジがかった
信長公の刀、三足のカエルの香炉、
麒麟の香炉などを見ました。

あまりにもスゴすぎて
思わずスタッフの方に
『これって本物ですよね..??』
と聞いてみたり 笑

京都を出る頃にはもう夕方になり、
流石に腕やスネ、背中や頸が
痛すぎたことに加え、
暑さでかなり大量が消耗していた
長谷川...(*_*;

給油しつつ、すでに名神道路に
乗る気力もなく...

スタンドのスタッフさんが
ここから15分くらいで着く
滋賀のビジホがあると
教えてくれたので、
汗びっしょりのTシャツとデニムを
スタンドのお手洗いでお着替えし
お礼を伝えて即ウォークイン。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
ですが、

『彼を知り己を知れば
百戦あやうからず』という諺通り、
「向かう相手の実情を
正しく知ることで、
負けない戦い方ができる」
という意味においては、
知らない場所へ行く時も然り
自分の実力と限界を
正しく理解しなければ
危険にさらされてしまうだろうと
つくづく思いました。

肝心な山梨は、次回行ける時に行こう。
いつでも行けるし。と思いながら
無事帰宅!

次回は山梨の陣です☆

いつの間にか歴女に
なってしまったみたい...( ゚д゚)ハッ

いやいや、まだまだです☆
 

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2021年07月19日 Mon01:16

2021年07月19日 Mon01:16