前回の『ケチ武将』続編です。
こちらも長いので、
関心のある方のみで、よろしう。
■前田利家(1539-99)
利家が佐々成政と戦った際、
妻の「まつ」は備蓄していた
金・銀を軍費に充てるよう、
利家に進言したという
エピソードが残っている。
これはいったい
どういうことなのだろうか。
利家は、ドケチで有名であった。
利家は軍費を惜しんだうえに、
人を召し抱えることを
控えるなどしていた。
「まつ」は利家が蓄財に励むのを
皮肉ったうえで、利家に金・銀を
使うよう助言したのである。
その甲斐あって、利家は
成政に勝利した。
☆長谷川「いい嫁を
もらいましたね。」
■黒田官兵衛(1546-1604)
官兵衛は倹約家としても有名で、
無用な出費を極力避けた。たとえば、
木材の切れ端なども、捨てずに
必ず貯めることにしていた。
その切れ端は、風呂焚き用に
用いられていたのである。
また、庭には梅の木を植え、そこから
収穫される梅を梅干しとして食用とした。
かなりの徹底振りである。
官兵衛は、倹約で貯め込んだお金を
貧しい人に施すなどしていた。そうした
際には惜しむことなく、大胆に
振る舞った。その振る舞いぶりは、
家臣が諌(いさ)めるほどであったという。
また、いざというときのための
戦費としても、蓄えは続けられた。
そのため家臣にも倹約を奨励し、
家臣もまたそれに従った。
「良いケチ」である。
☆長谷川「さすが栄姫
(官兵衛の娘。黒田長政の継室)
のお父上様ですな!」
■佐久間信盛(?-1582)
天正8年(1580)、織田信長は
大坂本願寺攻めに失敗した信盛に
折檻状(せっかんじょう※解雇通知)を送り、
高野山(和歌山県高野町)へ追放するという
処分を科した。
その中で重要なのは、次の一節だ。
以前から使える家臣に
知行(ちぎょう)を加増したり、
あるいは与力(よりき)を付けたり、
新しく家臣を召し抱えたりしていれば、
これほどの落ち度
(大坂本願寺攻めの失敗)をすることは
なかっただろう。
(信盛が)ケチくさく、
(お金を)溜め込むことばかり考えるから、
今回は天下の面目を失ってしまったのだ。
家臣は主のために懸命に戦い(奉公)、
主は貢献した家臣のために
加増する(御恩)。「御恩と奉公」の
関係こそが、主従関係の基本である。
信盛は金を溜めることばかり考え、
おまけに大坂本願寺攻めに失敗したので、
信長は怒り狂ったのである。
☆長谷川「せめて信長公に
オシャレなパンツの1枚でも
献上しておけばよかったのに...」
以上、金銭感覚は
その人次第ですが、
お金は生きた使い方をすれば尚良し。
ということがうかがえますね!
それでは長々と
お股せいたしました。
そしてお付き合い下さって
ありがとうございます(^^)
完。
♯quotes n processing
♯引用 と 加工
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