はっきり言って長いです。
興味のある方だけどうぞ。
英単語を調べていた時に
見つけました。
何これー 笑!
☆戦国大名の性格はさまざまで、
ケチというのもその一つだろう。
むろん、ケチというのは
理由があって、
多くの場合はいざというときの
備えだった(戦争や災害への備え)。
ケチの逸話の多くが近世に
成立したのは、
江戸時代にたびたび発布された
倹約令の影響もあろう。
「倹約する戦国大名こそ
すばらしい!」
というのは江戸時代に作られた
理想像と考えられるが、
非常におもしろくもあるので、
私的に5人を選び出してみた。
♯Google引用
■豊臣秀吉(1537-98)
秀吉は黄金の茶室を設けるなど、
ケチではないような印象を受けるが、
決してそうではなかった。
小瀬甫庵(おぜほあん)の
『太閤記』には、
次のとおり書かれている。
秀吉は富める者を優先し、
貧しき者を削った。
どうして道(人の道)に
近いといえようか。
百性から税を搾り取って、
金銀の分銅にして我がものにし、
余った金銀は諸大名に配った。
下の者(庶民)に配ることは
なかった。
その強欲ぶりは、フロイス
(明智光秀に数々の低評価を下したポルトガル出身、
キリスト教の布教を
行うために来日していた
宣教師・ルイス フロイス
※要するにキリスト教布教の
営業マン)
の『日本史』にも
書かれているほどだ。
女性に対する執着心も
凄まじかったというから、
救いようがない。
☆長谷川『Ohhhh...気をつけて!
別にダメではないけど程々に
ね!!』
↑ルイス フロイス
↑明智光秀
■徳川家康(1543-1616)
家康は幼い頃からの人質生活で、
すっかり倹約生活に慣れていた。
座敷で相撲しているとき、
畳が傷まないように裏返しに
させていたのは好例である
(『駿河土産』)。
厩(うまや)が壊れたときも、
そのほうが馬に頑強になるといって
修理をしなかった
(『明良洪範=めいりょう
こうはん』)。
とはいえ、家康は百性だけに
苦労させてはいけないと考え、
あえて白米ではなく麦飯を
食べていたという
(『武将感状記』)。
家康は質素な生活に努めたが、
必要な際には必要な出費を
惜しまなかった。
大井川の舟橋に橋を架けたのも、
その一つである(『信長公記』)。
「良いケチ」である。
☆長谷川『ナイスぅ!
さすがですわ。やるじゃん。』
次回に続く。
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